無実の罪で滅ぼされた畠山重忠の末子・畠山重慶にも謀叛の疑い…その運命やいかに【鎌倉殿の13人】 (4/6ページ)
「バカモン!もともと畠山殿は無実の濡れ衣で殺されてしまったのだから、その息子が仇討ちで謀叛を企んだとしても当たり前ではないか!だからこそ軽々に処断せず、事情を取り調べかつ説諭することで怨みの連鎖を断ち切るべきと言うのに……軽はずみにも程がある!」
生け捕れと命じたのに殺してしまうとは何事か……実朝の怒りは至極もっともですが、ここで素直にしょげ返るような宗政ではありません。
「あのな。確かにあの坊主を捕らえるのは訳もなかったさ。だがよ、ここへ連れてきたら、どうせ取り巻きの女官どもやお母ちゃん(尼御台・北条政子)に『可哀想だから助けてあげて』とか何とか言われて無罪放免にしちまうンだろ?だからブッ殺してやったンだよ。文句あるか!
だいたい御当代は甘っちょろ過ぎるんだよ。亡き大殿(源頼朝公)のころは武勇こそ奉公の第一と重く賞せられたモンだ。それがしも大殿から褒美をやろうと言われたが、それがしは『引目(ひきめ。鏃のない鏑矢。蟇目)を一筋頂ければ、東海道十五ヶ国を従えて見せましょう』と啖呵ァ切ってよ。その手柄で賜った引目は今でも家宝にしてるのサ。あの頃はよかったナぁ。
しかし今の鎌倉殿と来たら、和歌だの蹴鞠だのにお熱を上げて、武芸なんかそっちのけじゃねぇか。取り巻きはみんな女どもばかりで、いざ有事にはそいつらが御身を守るのかよ?
所領だって武功のある御家人にはくれねぇで、ほとんどお気に入りの女どもにくれてやるばかり。畠山討伐と言えば榛谷四郎(はんがや しろう。