無実の罪で滅ぼされた畠山重忠の末子・畠山重慶にも謀叛の疑い…その運命やいかに【鎌倉殿の13人】 (3/6ページ)

Japaaan

「あくまで事情を確かめて、何なら過去を清算して関係を改善したい旨を伝えるのじゃ。よいな」

「ははあ……よっしゃあ!今からひとっ走り行って来まさぁ!」

さて鎌倉殿が御為に奉公できるのがよほど嬉しかったのか、命令を受けた宗政は家にも帰らず、連れて来ていた家子1人と雑色8人だけを連れて鎌倉を出発。真っ直ぐ日光山を目指して駆け出しました。

「え、何があったンですか?」

「ちょっと待って下せぇ!」

主人が勝手に行ってしまったと聞いた長沼一族郎党は慌てふためいて後を追います。その騒々しい様子に、人々はすわ合戦でも始まったかと驚いたと言います。

まさかの逆ギレ!言うも言ったり悪口雑言

天晴。晩景宗政自下野國參着。斬重慶之首。持參之由申之。將軍家以仲兼朝臣被仰曰。重忠本自無過而蒙誅。其末子法師縱雖挿隱謀。有何事哉。随而任被仰下之旨。先令生虜其身具參之。就犯否左右。可有沙汰之處。加戮誅。楚忽之議。爲罪業因之由。太御歎息云々。仍宗政蒙御氣色。而宗政怒眼。盟仲兼朝臣云。於件法師者。叛逆之企無其疑。又生虜條雖在掌内。直令具參之者。就諸女性比丘尼等申状。定有宥沙汰歟之由。兼以推量之間。如斯加誅罸者也。於向後者。誰輩可抽忠節乎。是將軍家御不可也。凡右大將家御時。可厚恩賞之趣。頻以雖有嚴命。宗政不諾申。只望。給御引目。於海道十五ケ國中。可糺行民間無礼之由。令啓之間。被重武備之故。忝給一御引目。于今爲蓬屋重寳。當代者。以哥鞠爲業。武藝似廢。以女性爲宗。勇士如無之。又没収之地者。不被充勳功之族。多以賜靑女等。所謂。榛谷四郎重朝遺跡給五條局。以中山四郎重政跡賜下総局云々。此外過言不可勝計。仲兼不及一言起座。宗政又退出。

※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)9月26日条

さて、宗政が鎌倉へ帰って来たのはちょうど7日後の9月26日。満面の笑みで抱える首桶の中身は、もはや聞くまでもありませんでした。

それを知った実朝の怒るまいことか。源仲兼を通じて宗政を叱責します。

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