【考察】実朝暗殺の黒幕はまさか実衣(阿波局)?阿野時元の謀叛と『吾妻鏡』が書かない姉妹の対立【鎌倉殿の13人】 (2/5ページ)
謀叛など起こすまでもなく、鎌倉からお呼びがかかってもおかしくないはず。にも関わらず、なぜわざわざ謀叛を起こし、追討されてしまったのでしょうか。
時元謀叛の裏には、『吾妻鏡』には記されなかった政子(演:小池栄子)と実衣の暗闘があった可能性が考えられます。
阿野時元、謀叛の経緯未剋。二品御帳臺内。鳥飛入。申剋。駿河國飛脚參申云。阿野冠者時元〔法橋全成子。母遠江守時政女〕去十一日引率多勢。搆城郭於深山。是申賜宣旨。可管領東國之由。相企云云。
※『吾妻鏡』建保7年(1219年)2月15日条
建保7年(1219年)2月11日、実朝暗殺を知った阿野時元が本拠地の駿河国阿野荘(現:静岡県沼津市)で挙兵。山中に砦を構えて立て籠もったと言います。
「東国を管領すべきのよし、宣旨を賜わったぞ!」
恐らく味方を集めるためのホラでしょうが、このまま捨て置く訳にはいきません。
2月15日の午後14:00ごろ、鎌倉では政子の寝所に鳥が舞い込みます。不吉だと怪しんでいたところ、駿河国より飛脚が到着して時元の謀叛を報告しました。
依禪定二品之仰。右京兆被差遣金窪兵衛尉行親以下御家人等於駿河國。是爲誅戮阿野冠者也。