【考察】実朝暗殺の黒幕はまさか実衣(阿波局)?阿野時元の謀叛と『吾妻鏡』が書かない姉妹の対立【鎌倉殿の13人】 (4/5ページ)
当の頼仁親王ご自身は、鎌倉下向の内定をどのように思われていたのだろうか(イメージ)
皇族将軍であれば武家の棟梁たる権威・正統性はもちろんのこと、他の御家人たちとのつながりが薄いため、自分たちだけが直接影響力を及ぼせる(コントロールできる)と考えたのでしょう。
しかしいざ実朝が死んで時元も粛清した後、政子らの意図を見抜いた後鳥羽上皇に「鎌倉に人質を出すようなものではないか!」とばかり拒絶されてしまいます。
頼仁親王をアテにしていたのに、その芽が摘まれて慌てた政子たちは、何とか源氏の血筋を引いていると言えなくはない三寅(みとら。後の第4代鎌倉殿・藤原頼経)を連れてくるのでした。
終わりに以上、阿野時元の謀叛と、実朝をめぐる阿波局と政子の対立について紹介してきました。
実朝さえ死ねば、息子の時元にお鉢が回って来て姉を追いやり、権力を掌握できるかも知れない。そこで阿波局が公暁をそそのかし……たかどうかは今後の研究が俟たれるところです。
もちろん偶然に実朝が殺された結果として、阿波局が「じゃあウチの四郎(時元)を……」と言い出したところ、政子に「ダメ!」と拒否された(ならば挙兵を……と考えた)可能性も十分にあります。