【考察】実朝暗殺の黒幕はまさか実衣(阿波局)?阿野時元の謀叛と『吾妻鏡』が書かない姉妹の対立【鎌倉殿の13人】 (3/5ページ)

Japaaan

※『吾妻鏡』建保7年(1219年)2月19日条

「阿野冠者(時元)を追討なさい!」

政子はさっそく北条義時(演:小栗旬)に命じ、2月19日に金窪行親(かなくぼ ゆきちか。兵衛尉)らを派遣。2月22日には駿河へ到着して時元らを撃破したのでした。

發遣勇士到于駿河國安野郡。攻安野次郎。同三郎入道之處。防禦失利。時元并伴類皆悉敗北也。
※『吾妻鏡』建保7年(1219年)2月22日条

酉刻駿河國飛脚參着。阿野自殺之由申之。
※『吾妻鏡』建保7年(1219年)2月23日条

敗れ去った時元らは自害して果て、翌2月23日に報告の飛脚が鎌倉へ到着。こうして時元の野望は潰えたということです。

政子と阿波局の姉妹対立が、時元謀叛の原因だった?

以上が『吾妻鏡』の伝える謀叛のあらまし。どうして時元は話し合いでなく、謀叛を起こした(※謀叛によってしか鎌倉殿の地位を継承できる可能性がない状況だった)のでしょうか。

実際のところは時元本人に聞くよりないとしても、母(阿波局)と伯母(政子)の対立がその一因ではないかと考えられます。

実朝が生きていた時から、実朝への方針をめぐって乳母である阿波局と実母の政子が対立していたのではないでしょうか。

ここでもし時元が鎌倉殿となった場合、政子は鎌倉殿へ対する影響力を完全に失われてしまいます。

政子は建保6年(1218年)に上洛した際、藤原兼子(演:シルビア・グラブ)と会談。頼仁親王(よりひとしんのう。後鳥羽上皇の子で、実朝には義理の甥)を次の鎌倉殿にしようと根回しをしていました。

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