覚えてますか?源頼朝に所領を没収された馬面(うまづら)中原知親の意外な一面【鎌倉殿の13人】 (2/5ページ)

Japaaan

伊豆国で蒲屋御厨(現:静岡県下田市・南伊豆町)を支配し、日ごろ非道な振る舞いによって領民を苦しめていた。

それを停止(ちょうじ)すべく武衛(頼朝)が命令、事務手続きを藤原邦通(ふじわらの くにみち)が執り行う。その書状に曰く

「命令を下す。蒲屋御厨の領民らへ。史大夫知親の支配権を停止する。今後、坂東は武衛が支配すべきことが以仁王(演:木村昴)殿下の宣旨に明らかである。みな安心するように。治承4年(1180年)8月19日」とのことであった。

頼朝の下知状を読み上げる藤原邦通(イメージ)

……大河ドラマではこれ一度きりの登場でしたが、それから知親はどうなったのでしょうか。今回はそんな中原知親を紹介したいと思います。

意外に文武両道だった中原知親

中原知親は生年不詳、親戚と言われる山木兼隆との関係も不明です。

元は朝廷に仕えて久安2年(1146年)に文章生(もんじょうしょう。紀伝道の専攻学生)から右少史(うしょうし。史は「ふひと」で書記官)となりました。

生まれつき顔が長かったため、人からは「面長進士(おもながしんし)」と呼ばれたとか。大河ドラマで「顔が長い」と設定されていたのは、ここに由来します。

気を取り直して?久安3年(1147年)に左少史、右大史と順調に昇進。同年12月には従五位下に叙爵した知親。

その才能は文官としてのみならず、仁平2年(1152年)には右兵衛少尉、保元2年(1157年)には左衛門少尉に。文武を兼ね備えた人物だったようです。

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