覚えてますか?源頼朝に所領を没収された馬面(うまづら)中原知親の意外な一面【鎌倉殿の13人】 (3/5ページ)

Japaaan

内裏の警固に当たった知親たち(イメージ)

学者として名を高めた知親は多くの弟子に薫陶を与え、また文筆能力を評価されて摂政家の文殿(ふどの。公文所、政所)にも仕えました。

やがて親戚である山木兼隆との伝手か伊豆国へ移住して蒲屋御厨の目代を務めますが、治承4年(1180年)8月に頼朝が挙兵すると所領を奪われてしまいます。

仕方なく京都へ舞い戻った知親は後白河法皇(演:西田敏行)に仕えますが、寿永2年(1183年)に上洛してきた木曽義仲(演:青木崇高)によって解官(げかん。免職)されてしまいました。

これ以降、知親の姿は史料から見えなくなります。特に記録がないことから、義仲が都を追われた後も、政界への復帰は果たせなかったのでしょう。

大河ドラマの都合で仕方ないのかも知れませんが、決してただ暴虐な領主だけではない、意外な一面も見せてほしかったですね。

中原知親こぼれ話

山木兼隆の縁者 中原知親
森本武晴
伊豆国司の目代・山木兼隆の縁者。顔が長いのが特徴。

※NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」公式サイト(人物紹介)より

以上、中原知親の生涯を駆け足で辿ってきました。最後に彼の特徴である顔の長さにまつわるエピソードを一つ。

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