四天王が一人・馬場信春の伝説を見よ!武田家三代に仕えた名将が長篠に散るまで【前編】 (2/5ページ)

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そして、武田家が誇る勇将・小幡虎盛にその才能を見込まれ、兵法のいろはである戦場での駆け引きや部隊の指揮について伝授されたといいます。

信春は数々の戦いに参戦していますが、40数年間かすり傷ひとつ負わなかったと言われており、その猛将ぶりから『鬼美濃』と呼ばれて恐れられました。

「一国の主になれる器量人」

しかし、信春は猪突猛進の荒武者ではなく、冷静で思慮深い智将という一面も持ち合わせていました。

同僚の小山田信有から戦場で戦功をあげるコツを訪ねられた際には、次の通り答えたそうです。

「敵陣に深入りしたら、冷静な部隊と連携して脱出を試みその殿(しんがり)を務めること。また、味方の旗指物が前に傾いている時はこちらに勢いがあるので戦いを控え、旗指物が後ろに反ったらここで懸命に戦う。そうすれば戦功をあげることは簡単だ」。

分かりやすくシンプルな極意には唸らせられます。

さて1541(天文10)年、主君の信虎が追放されて武田信玄が当主となります。彼は信春を「一国の主になれる器量人である」と高く評価していました。

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