四天王が一人・馬場信春の伝説を見よ!武田家三代に仕えた名将が長篠に散るまで【前編】 (3/5ページ)

Japaaan

武田信玄(Wikipediaより)

そこで信玄は、信春の身分に箔をつけるために、断絶していた譜代家臣の馬場家を再興して馬場信春と名乗らせ、譜代家臣の一員とし50騎を束ねる侍大将に抜擢します。

天文19(1550)年に小笠原長時の本拠林城を攻略すると、信玄は林城の支城だった深志城(のちの松本城)を修築し、信春を城代としています。そして筑摩郡、安曇郡を支配させました。

また、山本勘助から城取りを学んで奥義を伝授された信春は、勘助の死後、占領地の築城を任されました。

「四天王が一人・馬場信春の伝説を見よ!武田家三代に仕えた名将が長篠に散るまで【前編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、馬場信春四宿老二十四将戦国時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る