いつ誰が考えた?小野小町はいかにして「世界三大美人」の一人となったか。その経緯を追う【後編】 (3/5ページ)

Japaaan

明治時代以降の「女性論」と小野小町

では、近代以降に小野小町が「美人」として受け入れられた際、彼女はどのような意味で理想的なキャラクターと見なされたのでしょうか。

例えば戦前は、足利尊氏や平将門は、天皇家に楯突いた人物だということで「極悪人」と見なされていました。

このような時代の空気の中では、彼らを「カッコイイ」理想的なキャラクターと見なすような考え方は一般的ではなかったでしょう。

よって、小野小町が「美人」と見なされたのも、近代以降の時代の空気にマッチした部分があったからだと言えます。

小野小町(鈴木春信画・Wikipediaより)

そしてそれは、世界三大美人のカテゴリーに西欧の女性が入っていないことと大きな関係があります。

日本で「世界三大美人」という括りが生まれたのは明治時代の中期頃からです。当時から大正時代にかけて刊行された雑誌・新聞には、女性論とでも言うべきものが掲載されるようになり、そこで小野小町が三大美人として取り上げられたのです。

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