このチャンス逃すまじ!北条泰時を論破し、承久の乱に加わった安東忠家【鎌倉殿の13人】 (4/4ページ)

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かくの間、右京兆(義時)の命に背くありのこと、当国に籠居す。武州の上洛を聞きて、駕を廻らし来たり加う。武州云く、客は勘発人なり。同道しかるべからずかと云々。忠家の云く、存ずる義は無為なる時の事なり。軍旅において命を棄てんため進発の上は、鎌倉に申さざるといえども何事のあらんやと。ついにもって扈従すと云々。

……かくして承久の乱に参戦した安東忠家は大いに武功を立て、それによって何となく罪を赦されたようです。

とかく世の乱れは人生をリセットするチャンスであり、絶好の機会を逃すまいと多くの者たちが奮い立ったのでした。

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では描かれないでしょうが、泰時に従い上洛した御家人たちにもそれぞれの事情があったことを含んでおくと、より味わい深く楽しめるでしょう。

※参考文献:

五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡8 承久の乱』吉川弘文館、2010年4月

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