「どうする家康」甲斐の虎、ついに始動!そして女城主の壮絶な最期…第11回放送「信玄との密約」振り返り (3/9ページ)
(武徳編年集成。)
改年之吉兆珍重々々。更不有休期候抑
徳川之儀遂執 奏候處。
勅許候。然者口宣案并女房奉書申調
指下之申候。尤目出度候。仍太刀一腰進上候。
誠表祝儀計候。萬々可申通候也。
正月三日 義昭
徳川三河守殿
※『東照宮御実紀附録』巻二「文禄(原文ママ)十二年勅許徳川称号」より
単なる年号の書き間違いか、あるいはまず三河守に任官してから、後付けで徳川と改姓したのかも知れません。
ちなみに石川数正(演:松重豊)が「(祖先をいくらでもでっち上げられるなら)私もヤマトタケルの末裔かも知れん」と笑っていましたが、石川氏は清和源氏の末裔ですから、実際その通りになります(系図は割愛)。
なお、家康は後に征夷大将軍となるために姓を藤原氏から源氏に戻しています。結構アバウトな時代だったようですが、こちらも多額の費用がかかったのは言うまでもありません。
知らぬは氏真ばかりなり……今川家臣団への調略穴山「哀れなものよ、今川氏真。知らぬは本人ばかりなりじゃ」
山県「お下知あらば、いつでも駿府を落とせます」
信玄「おぅ、上首尾じゃ」
駿府攻略に向けて、今川家臣団へ調略を仕掛ける武田家。周到な根回しと十分な勝算をもって、初めて精強な軍勢を動かすのが信玄流でした。戦う前から、既に勝負は決まっていたのです。
せっかくなので、劇中に名前の出て来た今川家臣団の名前を拾ってみましょう。