「どうする家康」甲斐の虎、ついに始動!そして女城主の壮絶な最期…第11回放送「信玄との密約」振り返り (6/9ページ)

Japaaan

大井川は駿河と遠江の両国を分ける境界ですから、文字通り駿河と遠江をそれぞれ分け合う意味になります。もう少し詳しい記述が『東照宮御実紀附録』にありました。

……同年十一月武田信玄御英名を志たひ。家人下条弾正して酒井左衛門尉忠次に書簡を贈り。この後は両家慇懃を通ずべきよしをのぶ。其書の表に啐啄の二字をしるせり。人々いかなる故を詳にせず。其頃伊勢の僧江南和尚といへるがたまゝゝ岡崎を過て東国に赴かむとするにより。石川日向守家成この字義をとひしかば。鳥の卵殻を破るにその時節あり。早ければ水になり遅ければ腐るといふ意なりと答へけるよし御聴に達し。すべて萬事に時を失はざるをもて肝要とす。主将たらん者は殊更此意を失ふまじと宣ひしなり。後に又柴田小兵衛正員をめし。鷹をかふにもよく夜据をなし。時節を伺ふて鳥を捉事は。昔聞し啐啄の意なりと仰られしとぞ。……

※『東照宮御実紀附録』巻二「信玄通家康」より

啐啄(そったく)とは、鳥のヒナが生まれる時、卵の殻を中と外からつつくこと。タイミングが早いと水になって(未熟なヒナが死んで)しまい、遅ければ中で死んで腐ってしまいます。

つまり「機が熟したので、共に今川を攻めよう」という事ですが、果たして作戦は成功。それぞれ所領を拡大しますが、後に信玄は欲を出したのでした。

駿河攻略が上手くいったので、この勢いで遠江ひいては三河まで併呑できると思ったのでしょう。

信玄の主張した「川切」概略図。

「「どうする家康」甲斐の虎、ついに始動!そして女城主の壮絶な最期…第11回放送「信玄との密約」振り返り」のページです。デイリーニュースオンラインは、近衛前久葛山氏元菅沼定忠瀬名信輝朝比奈泰能カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る