お田鶴の方だけじゃない!”おんな城主” として戦国乱世を生きた6人の女性たち (3/7ページ)

Japaaan

岩村城は武田家の傘下に置かれました。この時、御坊丸は人質として甲斐に送られています。

そして天正3年(1575)、武田軍が長篠の戦いで織田・徳川連合軍の前に敗北すると、信長の嫡男・織田信忠が岩村城を包囲しました。

兵糧攻めにより、おつやの方と虎繫は窮地に陥ります。ついには、抗戦虚しく織田軍に降伏しました。

この戦いは岩村城の戦いといわれ、降伏したおつやの方と虎繫は逆さ磔の極刑に処されました。処刑の際におつやの方は、「叔母を殺すとは非道の行い。必ず因果応報を受けることになるぞ。」と叫びながら刑を受けたといわれています。

父親顔負けの武勇を持つ立花誾千代

立花誾千代/Wikipediaより

立花誾千代(たちばな-ぎんちよ)は、永禄12年(1569)に生まれます。父親は37回の戦で一度も負けたことのない猛将・立花道雪です。

父親譲りの勇猛さを受け継ぎ、かつ跡継ぎの男子がいなかったので、天正3年(1575)に立花城の城主となりました。この時誾千代は7歳。それほど期待されていたことがうかがえます。

天正9年(1581)になると、誾千代は同い年の宗茂と結婚しました。宗茂は立花性を名乗ったので、立花城の城主は宗茂に譲られました。

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