お田鶴の方だけじゃない!”おんな城主” として戦国乱世を生きた6人の女性たち (4/7ページ)

Japaaan

立花宗茂/Wikipediaより

また、誾千代は女性ながら武勇に長けており、様々な逸話が残っています。それの代表として、関ヶ原の戦いで甲冑を着用し、出陣した話があります。

この話には続きがあり、誾千代は侍女にも武装させ、鉄砲隊を率いて加藤清正の進軍経路を変更させる功績を残しました。

他には文禄・慶長の役で宗茂が不在の間、誘ってきた豊臣秀吉に対して侍女に護衛として鉄砲を構えさせ、自らは武装して秀吉のもとに乗り込み、拒絶した話も残っています。

生家の伊達家と戦った二階堂阿南

二階堂阿南(おなみ)は伊達政宗の祖父・伊達晴宗の長女です。須賀川城主・二階堂盛義に嫁ぎ、長男の盛隆と次男の行親を産みます。

盛隆は永禄8年(1565)に蘆名盛氏に敗れたため、蘆名家の人質となっていました。

しかし天正3年(1575)、盛氏の後継に当たる蘆名盛興が亡くなったことで、盛隆が蘆名家の当主に。以後、蘆名盛隆として生きることになりました。

一方、二階堂家では天正9年(1581)に盛義が翌年には行親が亡くなります。そのため、阿南が須賀川城の城主となりました。加えて、盛隆が暗殺される悲劇にも見舞われました。盛隆の死は男色関係のもつれが原因と言われています。

「お田鶴の方だけじゃない!”おんな城主” として戦国乱世を生きた6人の女性たち」のページです。デイリーニュースオンラインは、女城主戦国武将戦国時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る