お田鶴の方だけじゃない!”おんな城主” として戦国乱世を生きた6人の女性たち (5/7ページ)
盛隆の死により衰退した蘆名家は、天正17年(1589)の摺上原の戦いで滅亡。甥の伊達政宗より降伏を薦められますが、阿南は徹底抗戦の構えを見せます。
そして、同年に伊達郡によって須賀川城は落城しました。その後は、甥の佐竹義宣の元へ身を寄せました。
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伊達政宗と繰り広げた骨肉の争い!戦国時代の女城主・阿南姫の生涯【1/4】 古河公方家と小弓公方家を統一した足利氏姫足利氏姫(うじひめ)は、天正2年(1574)に5代目古河公方・足利義氏の娘として生まれます。氏姫には弟の足利梅千代王丸がいましたが、既に亡くなっていました。
そのため、天正11年(1583)に義氏が亡くなると、9歳にして古河公方家の家督を相続しました。
そして、天正18年(1590)の小田原の役で後北条家が滅亡すると、氏姫は古河城から立ち退きを命じられます。その後、鴻巣御所に移動しました。
