お田鶴の方だけじゃない!”おんな城主” として戦国乱世を生きた6人の女性たち (2/7ページ)
無事に井伊谷城を取り戻したのも束の間、元亀3年(1572)に武田家の侵攻により、井伊谷城は武田家家臣・山県昌景に明け渡します。
その後は浜松城にいる家康に従軍し、武田軍と戦いました。その間も養子の井伊直政のことを気にかけ、15歳になる天正3年(1575)の時に、家康の小姓として出仕させています。
そして、天正10年(1582)に直虎は病死しました。
城の者を守るために武田に下ったおつやの方おつやの方は織田信秀(織田信長の父)の妹で、信長とは叔母の関係に当たります。おつやの方は、岩村遠山家の遠山景任(とおやま-かげとお)に嫁いでいましたが、元亀3年(1572)に病死。跡継ぎに信長の五男・御坊丸(後の織田勝長)を派遣しました。
御坊丸はまだ幼かったこともあり、おつやの方が岩村遠山家の居城・岩村城の城主となりました。
しかし、同年に武田信玄が西上作戦を決行。岩村城は武田家家臣の秋山虎繁(あきやま-とらしげ)に包囲されました。おつやの方は信長に救援を送りますが、武田家の対応で忙しく、救援を送れない状態でした。
結果、おつやの方は岩村城の兵や民を守るため、虎繁の条件に従い結婚。