お田鶴の方だけじゃない!”おんな城主” として戦国乱世を生きた6人の女性たち (2/7ページ)

Japaaan

山県昌景/Wikipediaより

無事に井伊谷城を取り戻したのも束の間、元亀3年(1572)に武田家の侵攻により、井伊谷城は武田家家臣・山県昌景に明け渡します。

その後は浜松城にいる家康に従軍し、武田軍と戦いました。その間も養子の井伊直政のことを気にかけ、15歳になる天正3年(1575)の時に、家康の小姓として出仕させています。

そして、天正10年(1582)に直虎は病死しました。

城の者を守るために武田に下ったおつやの方

おつやの方は織田信秀(織田信長の父)の妹で、信長とは叔母の関係に当たります。おつやの方は、岩村遠山家の遠山景任(とおやま-かげとお)に嫁いでいましたが、元亀3年(1572)に病死。跡継ぎに信長の五男・御坊丸(後の織田勝長)を派遣しました。

御坊丸はまだ幼かったこともあり、おつやの方が岩村遠山家の居城・岩村城の城主となりました。

しかし、同年に武田信玄が西上作戦を決行。岩村城は武田家家臣の秋山虎繁(あきやま-とらしげ)に包囲されました。おつやの方は信長に救援を送りますが、武田家の対応で忙しく、救援を送れない状態でした。

秋山虎繁/Wikipediaより

結果、おつやの方は岩村城の兵や民を守るため、虎繁の条件に従い結婚。

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