お田鶴の方だけじゃない!”おんな城主” として戦国乱世を生きた6人の女性たち (6/7ページ)

Japaaan

豊臣秀吉/Wikipediaより

翌年には豊臣秀吉の命により、小弓公方・足利頼純の長男である足利国朝と結婚。これによって対立関係にあった古河公方家と小弓公方家の統一が成されました。

この時に秀吉から喜連川(きつれがわ)の地を与えられますが、氏姫は鴻巣御所に住み続けました。

関ヶ原の戦い後には喜連川が喜連川藩となるも、氏姫は鴻巣御所に住み続けます。結局、氏姫は喜連川の地を踏むことなく、元和6年(1620)に46歳で亡くなりました。

老齢にして後北条家と戦った妙印尼

妙印尼(みょういんに)は永正11年(1514)に誕生した女性です。上野国新田金山城城主・由良成繁に嫁いで、由良国繁と長尾顕長を生みました。天正12年(1584)に国繁と顕長が後北条家によって小田原城に幽閉されてしまいます。

妙印尼はこの時71歳でありながら城主不在の中、後北条家と戦いました。妙印尼の活躍によって翌年に国繁と顕長は解放。しかし、天正18年(1590)に小田原の役が始まると国繁と顕長は後北条家の命で小田原城に籠城させられます。

妙印尼は後北条家に与することなく、孫の由良貞繁と共に豊臣軍の松井田城攻略に従いました。この時の年齢は77歳。

若者に負けず劣らずの気力が功を奏し、松井田城攻略の功績として常陸国の牛久城を与えられました。

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