「どうする家康」走れ阿月。家康は信長へ逆ギレ「あほたわけ」…第14回放送「金ヶ崎でどうする!」振り返り (2/9ページ)
今回はほとんど“カニすくい踊り”とか“走れ阿月”に時間を割かれており、肝心の合戦は次回も描かれないであろうことが残念ですが、実際はどうだったのでしょうか。
江戸幕府の公式記録『徳川実紀(東照宮御実紀)』を参照するほか、それぞれ元ネタを調べて振り返りましょう。
実際はどうした金ヶ崎
……ことし弥生信長越前の朝倉左衛門督義景をうたんと軍だちせられ(※原文ママ。ださせられ、か)。又援兵を望まれしかば。君にも遠江三河の勢一万余騎にて。卯月廿五日敦賀といふ所につき給ふ。やがて織田と旗を合せ手筒山の城をせめやぶる。なをふかく攻入て金が崎の城に押よせらるゝ所に。信玄(原文ママ。信長か)のいもと聟近江の浅井備前守長政朝倉にくみし。織田勢のうしろをとりきるよし注進するものありしかば。信長大におどろき。とるものもとりあへず。当家の御陣へは告もやらず。急に朽木谷にかゝり尾州へ迯帰る。木下藤吉郎秀吉にわづか七百騎の勢をつけてのこされたり。秀吉は 君の御陣に来りしかゞゝのよしを申救をこひしかば。快よく請がひたまひ。敵所々に遮りとめんとするをうちやぶりうちやぶり通らせ給ふ。されど敵大勢にて小勢の秀吉を取かこみ秀吉既に危く見えければ。㝡前(最前)秀吉が頼むといひしを捨て行むに。