熟練の老将・柴田勝家はなぜ敗れたか?「賤ケ岳の戦い」の羽柴秀吉の知略を探る (1/3ページ)
![](https://image.dailynewsonline.jp/media/0/6/068e6f48e8a24435b043cc4457a7a7bdb8375a3e_w=666_h=329_t=r_hs=0297b6ce3e885f2d8297f86454b862cb.jpeg)
信長あっての名将
柴田勝家といえば織田家の筆頭家老であり、名将の一人です。
彼は一度は信長の弟・信勝の家臣として信長排除を試みていますが、その後は許されて信長の配下に。そして畿内平定戦や姉川の戦い、一乗谷の戦いなど、織田信長にとっての主要な戦いのほとんどで大活躍しています。
![](https://image.dailynewsonline.jp/media/9/8/9820d7ffa154fa58456e70913f0918d5b5852ccf_w=666_hs=3e4f96a2015c7185a129dc20e0dfc03f.jpeg)
そんな彼ですが、その人生のピークはあくまでも信長あってものだった、という感があります。本能寺の変の後、信長の後継を決める清須会議で秀吉と決裂して以降は、どこか破滅への道を進んでいるようにすら見えます。
その後、なぜ賤ケ岳の戦いで彼は敗北し自害に追い込まれたのかというと、やはり勝家の家族関係を把握した上でそれを利用したりした、秀吉の知略によるところが大きいでしょう。