三方ヶ原合戦で壮烈な最期!酔いどれサムライ本多忠真(浪岡一喜)はいかに散っていったか【どうする家康】 (2/6ページ)

Japaaan

迫りくる武田軍を相手に大暴れ

まずは江戸幕府の公式記録である『徳川実紀(東照宮御実紀)』と同附録を読んだのですが、三方ヶ原の合戦の場面に本多忠真は登場しませんでした。

それでは概ね同時代を生きていた徳川家臣・大久保彦左衛門(おおくぼ ひこざゑもん。大久保忠世の弟、大久保忠教)の書いた軍記物語『三河物語』はどうでしょうか。

……御手前之衆尓ハ。青木又四郎殿(青木貞治)。中根平左衛門(中根正照)斗。物主ハ打死仕候。其外若き衆家老共ハ鳥居四郎左衛門(鳥居忠広)。本多ひ後守(本多忠真)。賀藤◆ねの丞(加藤利正)。同九郎次郎(加藤正信)。ゑのきづ小太夫(米津政信)。大久保新蔵(大久保忠寄)。河井やつと兵へ(詳細不明)。杉之原ナつと兵へ(詳細不明)。榊原摂津守(榊原忠直)。成瀬藤蔵(成瀬正義)。石河半三郎(数正一族?)。夏目次郎左衛門(夏目広次)。河井又五郎(詳細不明)。松山久内(詳細不明)。賀藤源四郎(加藤景継)。松平彌右衛門(詳細不明)殿。何◆も此外尓。此とおり之衆。数多候へ共志る寸尓不及……。

※『三河物語』第三下

【意訳】味方の討死は、青木貞治(あおき さだはる)・中根正照(なかね まさてる)。ほか以下のとおり。

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