三方ヶ原合戦で壮烈な最期!酔いどれサムライ本多忠真(浪岡一喜)はいかに散っていったか【どうする家康】 (6/6ページ)
本多忠真の子孫たち
ちなみに『寛政重脩諸家譜』によると忠真には一人娘がおり(案内板の菊丸は記載なし)、家臣の阿佐美金七郎(あさみ きんしちろう)に嫁ぎました。
女子
家臣阿佐美金七郎某が妻。※『寛政重脩諸家譜』巻第六百八十一 藤原氏(兼通流)本多
阿佐美金七郎は永禄3年(1560年)5月の桶狭間合戦で丸根砦の攻略に参陣。『松平記』によれば三河一向一揆で家康に弓ひいたそうです。
その後の動向は不明ですが、文中の「家臣」は一揆の鎮圧後、多くの者たち同様に帰参して本多家に仕えた可能性も考えられます。
もしかしたら、忠真の血脈が細々でも後世に受け継がれた可能性があるかも知れません。
果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では本多忠真がどのような最期で戦場を彩ったのか、浪岡一喜の熱演に期待ですね!
※参考文献:
『改正三河後風土記 上』国立国会図書館デジタルコレクション 『寛政重脩諸家譜 第四輯』国立国会図書館デジタルコレクション 『日本戦史材料 第二巻 三河物語』国立国会図書館デジタルコレクション日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan