三方ヶ原合戦で壮烈な最期!酔いどれサムライ本多忠真(浪岡一喜)はいかに散っていったか【どうする家康】 (5/6ページ)
あの有名なエピソードは?
他にも文献はありますが、ひとまずこの辺にしておきましょう。
ところで本多忠真の最期について、道の両側に旗指物を突き立てて「これより一歩も退かぬ」と宣言したエピソードを聞いたのですが、どれにも出て来ませんでしたね。
そう思ったら、三方ヶ原よりほど近くに建立された「本多肥後守忠真の碑」案内板に、こんな記述がありました。
本多忠真は、三河の松平氏時代からの家康の家臣。
父・本多忠豊は、徳川四天王・本多忠勝(ほんだただかつ)の祖父。
本多忠真は、子の本多菊丸に「主君家康を護るように」と言い残し、道の両側に旗指物を突き刺して「ここから後へは一歩も退かぬ」と、家康を追走する武田軍の中に刀一本で斬り込んで討ち死に。
享年39。
浜松城に無事退却した菊丸は、父の遺骸を三河に葬った後、出家しています。(後略)
※犀ヶ崖資料館「本多肥後守忠真の碑」案内板より(静岡県浜松市中区鹿谷町25-10地先)
土地の伝承でもあるのでしょうか?その出典を突き止めるべく、更に調査したいと思います。