意外?実は鉄砲(火縄銃)の導入に積極的だった武田信玄。しかし……【どうする家康】 (3/5ページ)

Japaaan

そもそも甲斐国は土地がやせて財政が常に厳しく、父・武田信虎(のぶとら)の時代から豊かな領土を求めて戦を繰り返していました。その軍資金を調達するために重税を課し続け、領民たちは生活苦に喘いでいたのです。

とても火縄銃を買いそろえる余裕などなかったため、甲州や信州で産出される名馬を調練して精強な騎馬軍団を編成したのでした。

追い詰められて挙兵した信玄、家康にまでナメられる?

せめて海があれば……そんな悲願を叶えるため、盟友であり甥でもあった今川氏真(演:溝端淳平)を裏切ってまで駿河を奪い取った信玄。

しかし時すでに遅く、西国への海路はすっかり織田信長(演:岡田准一)に押さえられていました。かくして交易ルートの開拓は頓挫、ジリ貧は解消されなかったのです。

かくして追い詰められた信玄は、京都の足利義昭(演:古田新太)が呼びかけた信長包囲網に参加。当時(少なくとも表面上は)友好関係にあった信長も裏切ってしまいました。

※これをライバルの上杉謙信(うえすぎ けんしん)は「武田は蜂の巣に手を突っ込んだ。もはや長くあるまい(意訳)」と喜んでいます。

そして行く手に立ちはだかる織田の盟友・徳川家康(演:松本潤)と三方ヶ原で戦うことになるのでした。

武田軍30,000に対して徳川8,000(+織田の援軍3,000)という圧倒的兵力差にもかかわらず、家康が野戦を挑んで来たのは武田軍が「ナメられるくらいの貧弱な装備しか持っていなかったから」ではないかとする説もあります。

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