意外?実は鉄砲(火縄銃)の導入に積極的だった武田信玄。しかし……【どうする家康】 (1/5ページ)

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意外?実は鉄砲(火縄銃)の導入に積極的だった武田信玄。しかし……【どうする家康】

武田信玄(演:阿部寛)と言えば精強な騎馬軍団を率いて天下を狙ったものの、鉄砲(火縄銃)など先進的な兵器の導入には消極的だったイメージがあります。

伝統的な戦法にこだわり、それでも数々の合戦で勝利を収めた将器は高く評価されるものの、息子・武田勝頼(演:眞栄田郷敦)の代で滅ぼされてしまいました。

徳川・織田連合軍の銃撃に壊滅する武田騎馬軍団。「長篠合戦図屏風」より

やはり使えるものは何でも使って勝利をもぎとらねば生き抜けないのが乱世の現実。平安・鎌倉期の武士ならいざ知らず、戦国時代の信玄が武士の美学をそこまで追求したとも考えられません。

そこで調べてみると、信玄も火縄銃を積極的に導入していたようで、今回は軍学書『甲陽軍鑑』の一節を紹介したいと思います。

弾薬は一人3発。指示があるまで無駄に撃つな……

……五十人の足軽には永正七年に始て渡る鉄砲を持たせ玉薬一人にみはなしつつあてがひ、いつれも某はなせと申時仕れ、はなしあけてから弓鉄砲を捨かたなをぬきむりにきつてかゝり鉄砲は弓の衆の間にたち矢五ツはなしてから、うちはじめよと……

※『甲陽軍鑑』品第廿八

【意訳】足軽50人に対して、永正7年(1510年)から導入された火縄銃を配備。弾薬は一人あたり3発。弾を無駄にせぬよう、各個人に対して「誰それ、放て!」と命じた時以外は放たぬよう指示。全弾を放ち終えたら鉄砲を置いて抜刀、突撃せよとのこと。

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