朝ドラ「らんまん」で田中哲司演じる徳永助教授のモデル!日本植物学の発展に尽力した松村任三の生涯③ (1/6ページ)
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東京開成学校を去った任三に、思いがけない出会いがありました。
留学帰りで東京開成学校の教授であった矢田部良吉が助手になるように声をかけてきたのです。実はこの矢田部良吉、朝ドラの田邊教授のモデルとなった人物でした。
明治10(1877)年、任三は東京大学小石川植物園に就職。同時に矢田部良吉の助手として働き始めます。
法学を専攻していた任三ですが、このときから植物学だけでなく、他の学問とも触れ合うこととなります。
同年6月には、東京大学法理文学部教授となる、エドワード・S・モースのもとで大森貝塚の発掘に従事。これは日本における初めての発掘調査でした。
明治15(1882)年には、東京植物学会の設立にも奔走。矢田部の腹心として活動しています。
翌明治16(1883)年には、東京大学の助教授に就任。同年に『植物採集及び乾腊法』を発表するなど、植物学者として歩みを確実にしていました。