「どうする家康」信長を殺し、天下を獲る!?第26回放送「ぶらり富士遊覧」振り返り (10/12ページ)

Japaaan

四月十八日 吉田川乗こさせられ五位ニ而御茶屋美々敷被立置西入口ニ結構ニ橋を懸させ御風呂新敷被立珍物を調一献進上大形ならぬ御馳走也本坂長澤皆道山中尓て惣別石高也今度金棒を持而岩をつき砕かせ石を取退平ラニ被申付爰ニ山中之宝蔵寺御茶屋西尓結構尓構而寺僧喝食老若罷出御禮申さるゝ正田之町より大比良川古させられ岡崎城之腰むつ田川矢はせ川尓ハ是又造作ニテ橋を懸させ可ち人渡し被申御馬共ハ乗こさせられ矢はきの宿を打過て池鯉鮒尓至て御泊 水野宗兵衛 御屋形を立而御馳走候し也

※『信長公記』巻之十五(天正十年壬午)(廿三)信長公甲州ヨリ御帰陣之事

うわぁ……ビッシリですね。4月10日から4月18日まで、実にイベントが盛りだくさん。
しかし、これが家康と別れた後はこうなります。

四月十九日 清洲迄御通

四月廿日 岐阜へ被移御座

四月廿一日 濃州岐阜より安土へ御帰陣之處ニ……(以下略)

※『信長公記』巻之十五(天正十年壬午)(廿三)信長公甲州ヨリ御帰陣之事

※4月19日、4月20日は原文ママ(それぞれ一行のみ)です。

【まとめて意訳】4月19日、清州に到着。4月20日、岐阜に到着。4月21日岐阜から安土にお帰りのところに(以下略)

……もう何とも実にアッサリと言いますか。書くのもめんどくさそうな(とりあえず事務的に描いている)空気を感じますね。

『信長公記』は信長自身ではなく、側近の太田牛一(おおた ぎゅういち/うしかず)が書いたものですが、これは彼が側近く仕えている信長のテンションも少なからず影響しているのではないでしょうか。

(実は大好きな)家康がお見送りしてくれるのは徳川領内まで。織田領内に入って家康と別れたら、急につまんなくなって「あーあ、さっさと帰ろ!」と思ったのかも知れませんね。

でも大丈夫。この翌月(天正10・1582年5月)に家康を安土に招待しますから、信長も寂しくありませんね。

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