「どうする家康」信長を殺し、天下を獲る!?第26回放送「ぶらり富士遊覧」振り返り (6/12ページ)

Japaaan

天正7年(1579年)9月16日に信雄が攻め込み、9月17日に返り討ちされ、9月18日に敗残兵をまとめて引き上げたのでした。

当時の信長は石山本願寺との戦いが優先であったため、和睦して片がついた天正9年(1581年)9月に信長が10万以上の大軍を導入。伊賀方の犠牲者は非戦闘員も含む30,000以上と言われます。

このことから、伊賀者たちは信長を激しく憎みました。当たり前ですね。

劇中で服部半蔵(演:山田孝之)が「伊賀から逃げて来た者らを100名ばかり匿っている。いつでも動けるように手なづけておく」と言ったのは、既に家康が信長の暗殺などを考えていた(その意を受けていた)からと考えられます。

しかし、明智光秀(演:酒向芳)が家康に対して「伊賀を徹底的に滅ぼせ」的なことを言っていたのは時系列的にどうなのでしょうか。

まだ伊賀国内に叛乱の芽がくすぶっていたのか、それとも単に光秀の嫌なヤツぶりを示したかったのでしょうか。

(まぁ勝頼の兜首を持ち出して「さぁ八つ当たりして下さい!」などと言い放ち、辱める露骨な悪役ですから、恐らく後者と思われます)

果たして家康に匿われたこの伊賀者たちが、この後どう活躍してくれるのかどうか、期待しておきましょう。

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