「どうする家康」信長を殺し、天下を獲る!?第26回放送「ぶらり富士遊覧」振り返り (4/12ページ)
ところで信長は永年武田を怨んでおり、こたび甲斐国へ攻め込んだら、犬猫までも斬り捨てるよう厳命。しかし家康は投降した武田旧臣を匿ったという。
穴山梅雪も武田の一門衆(信玄の甥であり娘婿)でありながらこれまた勝頼を裏切って3月1日に家康へ投降。こうして一族からも見限られた勝頼は、天目山のふもとで嫡男・武田信勝(のぶかつ)ともども討たれたのである。
……ちなみに、武田の一門衆でありながら勝頼を裏切った木曾義昌・穴山梅雪・小山田信茂。彼ら3人の末路は悲惨なものでした。
木曾義昌は家康に仕えたものの、後に家康を裏切って羽柴秀吉(演:ムロツヨシ)に従いますが、秀吉は義昌を家康に突き返します。とうぜん冷たくされ、不遇のうちに生涯を終えました。
穴山梅雪は家康に従ったものの、同年6月2日に本能寺の変のドサクサで落ち武者狩りに遭い、殺されてしまいます。
そして小山田信茂は捕らわれて信長に処刑されました。その罪状が「武田家に対する不忠」とから目も当てられません。
ともあれ甲斐源氏の名門として、数百年にわたり君臨してきた武田家の滅亡は、今も人々に惜しまれています。