「どうする家康」絶体絶命の危機を乗り越え、神の君が無事に生還。第29回放送「伊賀を越えろ!」振り返り (5/10ページ)
しかしさっぱり通じず、ずっと伊賀にいた服部某にも知らないと言われる始末でしたが、服部一族と伊賀国にはどのような関係があるのでしょうか。
『寛永系図』によると熯速日命(ほのはやひのみこと)の末裔で、允恭天皇の御代に織部司に任じられ、服部連(はとりべのむらじ)と称しました。
※熯速日命は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が妻を焼き殺してしまった我が子の加具土命(かぐつちのみこと)を斬り殺した剣から滴り落ちた血から化生した神。子に軍神・武御雷命(たけみかづちのみこと)がいます。
その子孫が伊賀国阿拝服部郷(三重県伊賀市)を領したのが服部一族と伊賀国のつながり(諸説あり)。以後、諸国へ遊仕(フリーランス的に勤務)したと伝わります。
聞くだけでも伊賀国との関係性は薄そうですね。それでは、半蔵の父・服部半三保長について『寛政重脩諸家譜』を確認しましょう。
●保長 半三 石見守 致仕號浄閑
保紹が呈譜及び松平隠岐守定直等が家臣の貞享呈譜に、正種に作る。
萬松院義晴に仕へ、安綱の刀をあたへらる。其後三河国に来り清康君、広忠卿、東照宮に歴任し、のち致仕す。某年岡崎にをいて死す。法名道可。