「どうする家康」絶体絶命の危機を乗り越え、神の君が無事に生還。第29回放送「伊賀を越えろ!」振り返り (6/10ページ)

Japaaan

※『寛政重脩諸家譜』巻第千百六十八 服部氏 服部

【意訳】服部保長、通称は半三、自称官職は石見守。出家後は浄閑(じょうかん)と名乗った。別の史料には服部正種(まさたね)とも言う。

第12代室町将軍・足利義晴(あしかが よしはる。足利義昭の父)に仕え、褒美として安綱(やすつな)の銘刀を賜る。後に三河へ来て松平清康(きよやす。家康祖父)・松平広忠(演:飯田基祐)・そして東照宮(我らが神の君)三代に仕えた。

そしてある時、岡崎にて亡くなる。法名(戒名)は道可。

……とのこと。あまり伊賀の地に根づいていた印象は受けませんね。というか、家康にも仕えているのだから面識くらいあったでしょう。とツッコミたくなります。

服部半蔵は女大鼠を側室にした?

まぁ野暮はそのくらいにして、半蔵が女大鼠を抱き寄せて鼻の下を伸ばし、腹に一撃喰らっていた場面。

大鼠とあだ名をとっていた忍びには神谷権六(かみや ごんろく)という者がいたため、イコールではないものの、半蔵には側室がいたのでしょうか。

『寛政重脩諸家譜』から確認できる限りだと、長男・服部正就(まさなり)の母は松平定勝(まつだいら さだかつ)の娘、次男・服部正重(まさしげ)の母が大久保長安(おおくぼ ながやす)の娘。

そして末子三男の服部正廣(まさひろ)には、母に関する記述がありません。

正廣 郷八郎

※『寛政重脩諸家譜』巻第千百六十八 服部氏 服部

これだけです。母親が判明しているならそのくらいは書くでしょうし、兄たちとは母親が違う可能性が高そうです。身分が低いか身元を明かせないかの事情が考えられます。

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