「どうする家康」どうした数正?出奔したその胸中は……第33回放送「裏切り者」振り返り (2/7ページ)

Japaaan

いまだ家ゆづるべきおのこ子も候はず。あはれ 徳川殿御曹司のうち一人を申受て子となし一家の好をむすばゞ。天下の大慶此上あるべからずとこふ。 君も天下のためとあらんにはいかでいなむべきとて。於義丸と聞え給ひし二郎君をぞつかはさる。秀吉卿なのめならずよろこびかしづき。やがて首服加へて三河守秀康となのらしむ。……

※『東照宮御実紀』巻三 天正十二年「秀吉養秀康」

以前、お万の方(松井玲奈)との間にもうけた男児・於義伊(おぎい。於義丸)が、すっかり大きくなっていました。

瀬名(有村架純。築山殿)の死後、母子ともに浜松城へ呼び戻したのですが、今こそ利用しない手はありません。

「いざ有事には、捨て殺しにして下さいませ」

健気にも家康へそう告げた於義伊とお万。しょせん武家の次男坊なんてそんな扱い……という事情は解りますが、あまりにも血が通っていないセリフに、怖気が否めません。

もう少し、母子の情愛を感じさせる演出(例えば口ではそう言っていても、本心では悲しんでいる)があってもよかったのではないでしようか。

また、このお万はかつて「男どもは争いばかり、女子(おなご)が政をすればよい」という主張をしていました。

それが腹を痛めて産んだ我が子を人質という政略の道具として差し出すことについて、葛藤はないのでしょうか(なきゃないで別に構わないのですが)。

ともあれ、養子という名の人質に出された於義伊。大坂では秀吉が大歓迎、秀の字をもらって羽柴秀康(はしば ひでやす)と名乗るのでした。

もしかしたら、ずっと冷遇され続けた浜松時代より、よほどいい思いをしていたかも知れませんね(父に捨て駒として送り出され、母と引き裂かれた心の傷はあるにせよ)。

羽柴秀吉の養子になった於義丸(結城秀康)。
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