「どうする家康」どうした数正?出奔したその胸中は……第33回放送「裏切り者」振り返り (3/7ページ)

Japaaan

なぜ彼が選ばれた?【どうする家康】

一、第一次上田合戦

二度にわたって徳川の大軍を翻弄した真田昌幸。しかし劇中のような余裕はなく、むしろ徳川・上杉・北条という強豪の狭間で必死に生き抜いていたところに彼の魅力がある(画像:Wikipedia)

真田安房守昌幸。上田。戸石。矢津の城々明渡さんといふより。御家人をつかはされ請取しめんと有しとき。真田は信玄の小脇指といはれしほどの古兵にてあれば。さだめてかの城々も守備堅からん。その上彼が兄長篠にてわが勢の為に討れたれば。此度吊ひ(※弔いの誤記か?筆者註)合戦すべきなど思ひまうけしもしるべからず。彼がとき小身ものに。五ヶ国をも領するものが打負なば。いかばかりの恥辱ならん。こは保科芦田などに扱せよと仰けれども。老臣強て申請により大久保鳥居などの人々に。二万ばかりそへてつかはされしが。果して真田が為に散々打まけて還りしがは(※しかば、の誤記か?筆者註)。いづれも御先見の明なるに感じ奉りぬ。老臣重ねて兵を出さんと申上しに。岡部弥次郎長盛に甲信の兵をそへて。信州丸子表に出張し真田が様を見せよと命有て。長盛丸子に於て真田と戦ひしに。打勝て真田上田に引退しかば。ことに長盛が戦功を御賞誉有しとなり。

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