「どうする家康」どうした数正?出奔したその胸中は……第33回放送「裏切り者」振り返り (5/7ページ)

Japaaan

一、石川数正はなぜ秀吉に寝返ったのか?

歌川芳虎「後風土記英勇傳 石川伯耆守数正」

……三河草創よりこのかた。大小の戦幾度といふ事をしらざれども。別に 当家の御軍法とて定れる事もなく。たゞそのときに従ひ機に応じて御指麾有しのみなり。長久手の後豊臣秀吉たばかりて。 当家普第の舊臣石川伯耆守数正をすかし出し。数正上方に参りければ。 当家にて酒井忠次とこの数正の両人は第一の股肱にて。人々柱礎のことく思ひしものゝ。敵がたに参りては。この後こなたの軍法的に見透されば。蝱に目のぬけしなどいふ譬のことく。重ねて敵と戦はん事難かるべしと誰も案じ煩ふに。 君にはいさゝか御心を惱し給ふ様も見えず。常より御けしきよくおはしませば。人々あやしき事に思ひ居たり……

※『東照宮御実紀附録』巻四「家康則武田軍法」

家康を天下人にすると宣言したのに、舌の根も乾かぬうちに出奔してしまった石川数正。

「関白殿下是天下人也(関白殿下、これ天下人なり)」

最早お前に天下は獲れない、秀吉に臣従すべきと書き置きを残した心中は、いかなるものだったのでしょうか。

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