「どうする家康」ダーン!茶々(北川景子)に心を射抜かれた神の君(松本潤)は……第36回放送「於愛日記」振り返り (3/7ページ)
……という経緯があって、於愛は天正6年(1578年)に家康の側室となったのでした。
勝忠 孫兵衛
紀伊大納言頼宣卿につかふ。
※『寛政重脩諸家譜』巻三百六十九 清和源氏(支流)西郷
なお、西郷勝忠(孫兵衛)は成長して徳川頼宣(家康の十男、紀州徳川家の祖)に仕えたと言うことです。
於愛(西郷局)の生涯を振り返る
女子 実は戸塚五郎大夫忠春が女、母は正勝が女、蓑笠之助正尚に養はれて義勝に嫁し、義勝戦死の後清員が養女となる。
天正六年三月浜松にめされ、東照宮につかへたてまつり西郷の局愛子と称す。是、台徳院及び薩摩守忠吉卿の母堂たり。十七年五月十九日逝す。年二十八。松誉貞樹龍泉寺と號す。駿府の龍泉寺に葬る。寛永五年従一位を贈られ、寶臺院の號を賜ふ。これより寺號をもあらためて寶臺院といふ。
※『寛政重脩諸家譜』巻三百六十九 清和源氏(支流)西郷
於愛は永禄5年(1562年)、戸塚忠春と西郷正勝の娘との間に誕生しました。
故あって蓑正尚(笠之助は通称)の養女に出され、西郷義勝と結婚。前述の一女一男を産んだとされます。