石田三成はじめ有能ぞろい!豊臣政権を支えた5人の家臣「五奉行」の各奉行を一挙ご紹介【どうする家康】 (2/6ページ)
さらに、天正18年(1590)の小田原征伐では三成に代わって戦後処理の主導的な役割を担い、同年に起きた奥州仕置では実行役を担いました。
長政は秀吉との関係が深いこともあり、文禄元年(1592)の文禄の役で秀吉自らが朝鮮に渡ると言い出した際には、「殿下は随分と変わられた。きっと古狐に取り憑かれたのですな。」と遠慮なく物申すこともあったそうで、秀吉を止めることができる数少ない人物だったことがわかります。
この話には続きがあり、自分の首をはねてもこの世には影響がないこと、朝鮮出兵で日本が混乱していること、その状況で秀吉が日本を出たら、日本の平穏が乱れてしまうことを秀吉に伝え、朝鮮への渡海を防ぎました。
そして、慶長4年(1599)に徳川家康暗殺計画の関与を疑われ、甲斐国へ謹慎となり、五奉行の職を解かれます。
その後の関ヶ原の戦いでは、家康と親交があったことから東軍に味方し、江戸城の留守居を務めました。その功績により、常陸国真壁に領地を与えられ、真壁藩を立藩しました。
宗教担当・前田玄以
前田玄以(まえだ-げんい(演:村杉蝉之介さん))は五奉行では主に宗教を担当していました。