石田三成はじめ有能ぞろい!豊臣政権を支えた5人の家臣「五奉行」の各奉行を一挙ご紹介【どうする家康】 (3/6ページ)
玄以が出身の前田氏は、藤原利仁の末裔である斎藤季基が美濃国安八郡前田に住んだことに端を発しています。ちなみに、前田利家の前田氏は菅原氏系統の一族です。
比叡山の僧だった玄以は信長に招聘されたことで家中に加わり、信長嫡男の織田信忠の家臣となりました。
ほどなくして起こった本能寺の変では信忠と二条新御所におり、信忠の命で逃れました。
天正11年(1583)には織田信雄に仕えます。その時に京都の公家・諸寺社との繋がりを持つ数少ない人物だったこともあり、京都所司代に任命されています。
翌年になると秀吉に仕え、京都所司代として朝廷との交渉役を担いました。
関ヶ原の戦いでは、大坂城にいた秀頼の警護の任を全うしました。
この働きが評価され、秀吉より与えられていた丹波亀山5万石の本領を安堵。その後、丹波亀山藩の初代藩主となりました。
行政担当・石田三成
五奉行の中で主に行政を担当した石田三成(演:中村七之助さん)は、天正2年(1574)頃から秀吉に仕えました。
信長死後、秀吉が頭角を現していくと、三成も天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いで先駈衆として一番槍の功名をあげる活躍を見せます。