石田三成はじめ有能ぞろい!豊臣政権を支えた5人の家臣「五奉行」の各奉行を一挙ご紹介【どうする家康】 (4/6ページ)

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天正14年(1586)には堺奉行に命じられ、堺を兵站基地として整備。九州平定後に命じられた博多奉行では、軍監の黒田勘兵衛と共に復興に従事する活躍をしました

天正18年(1590)に起きた奥州仕置では、奥州における検地奉行を務める実績を残し、秀吉の側近として申し分ない貢献をしました。

しかし、秀吉死後に加藤清正や福島正則らとの対立が勃発。ついには三成の大坂の屋敷を襲撃する事件が起こる事態まで発展しました。

この事件は家康の仲裁で収束しますが、三成はこの事件を機に五奉行の職を外れました。

土木担当・増田長盛

増田長盛/Wikipediaより

五奉行の中では主に土木を担当していた増田長盛(ました-ながもり(演:隈部洋平さん))は、天正元年(1573)に秀吉に仕えます。

天正10年(1582)には奏者に任命され、上杉景勝との外交を担当しました。

以後、天正13年(1585)より長曾我部氏、天正18年(1590)より下野・常陸・安房の各大名といった諸大名との取次を任されました

文禄4年(1595)、豊臣秀保が病没したことで、秀保が所有していた大和国郡山城20万石の領地を拝領されます。

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