石田三成はじめ有能ぞろい!豊臣政権を支えた5人の家臣「五奉行」の各奉行を一挙ご紹介【どうする家康】 (6/6ページ)

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他に、農村再建に貢献し、中川秀成の豊後移動の際、隣接する蔵入地代官に協力を求めて、戦によって荒廃した農村の再建、逃亡した農民の還住策を指示した功績も残しています。

秀吉没後は、三成の家康打倒の計画に協力し、慶長5年(1600)に伏見城の戦いに参加。城兵を寝返らせ、内部放火を合図に伏見城を攻略に導いた戦功を挙げました

続く関ヶ原の戦いでは、毛利秀元や吉川広家と共に南宮山に布陣するも、広家の妨害で参加できずに西軍壊滅と同時に撤退を余儀なくされます。

その後は、居城の水口城に戻るも東軍の池田長吉に欺かれ捕縛。弟の直吉と共に家臣の介錯で切腹し、39歳の生涯を終えました。

最後に

五奉行は関ヶ原の戦いを期に解体されてしまいましたが、秀吉が生きている内に組織として構成されていれば、豊臣政権は長く続いていたかもしれません。

また、五奉行に任命されているだけあって個々人の能力が高いことも特徴で、5人が協力していれば家康の台頭に対抗できたかもしれないと思うと、より一層5人のことについて理解が深まるかと思います。

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