日露戦争も乗り切った大宰相・桂太郎!その卓越した手腕と悲劇的最期【前編】 (2/4ページ)

Japaaan

最初は渡仏したのですが、普仏戦争に遭遇したためドイツに切り替えたという経緯もありました。

桂のドイツ留学に関して外せないのは、かの木戸孝允との交流です。欧米使節団として渡独していた木戸に官費留学へと待遇を切り替えられないかと依頼し、木戸もそれを承諾しました。

最終的に、桂は1870~1873年にかけて、22~25歳の間ドイツで過ごしています。また27歳からも三年間、ドイツ駐劄公使館付武官として渡独しており、軍政・軍事を研究するかたわらヨーロッパ列強の国情と対外政策を学ぶことになったのでした。

ドイツ留学を終えた桂の陸軍入りを斡旋したのも木戸で、その後も桂は軍政をドイツ式に改めるなどの功を挙げて順調に昇進していきました。

ホテルオークラ前の桂小五郎(木戸孝允)像

このように桂は木戸に対して留学時から恩があったため、木戸への気遣いはかなりのものでした。駐在武官としてドイツに赴任していた頃は、月に一回「木戸尊大人様閣下」と仰々しい宛名で手紙を書いており、木戸夫人にも珍しい土産物を送っていたといいます。

陸軍入りしてからの桂は山縣有朋の子分と見られていましたが、実際、彼はこうした大先輩たちの引き立てによって出世していったと言えるでしょう。

このように、桂太郎という人物は若い頃から人間関係において抜け目がなく、したたかな性格でした。

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