日露戦争も乗り切った大宰相・桂太郎!その卓越した手腕と悲劇的最期【前編】 (3/4ページ)

Japaaan

人心掌握術に長けており、ニコニコ笑顔で背中をポンと叩くことで政財界の面々を巧みに説得していたため「ニコポン宰相」とも呼ばれています。

政治家になってからも、議会対策には硬軟取り混ぜて政党領袖と渡り合い、しばしば山縣有朋と暗闘を繰り返していた伊藤博文にも目配りを忘れていません。こうした世渡りの上手さは、豊臣秀吉田中角栄にも通じるものがあると言えるでしょう。

第一次桂内閣の成立

その後、彼は日清戦争で名古屋の第三師団を率いて出征し、戦後は台湾総督陸軍大臣へと上り詰めていきます。彼のこうした出世には、もちろん山縣有朋の力添えがありました。

第一次大隈内閣と第二次山縣内閣では、陸軍大臣を務めるとともに山縣の参謀格としても手腕を発揮。1900年に発生した義和団の乱では中国に軍を出兵させました。しかし動乱終結後は複雑な国際関係の中での出兵と国内の政争から心労を患い、転地療養に入っています。

10月には第四次伊藤博文内閣が成立したものの、伊藤が総裁を務める立憲政友会(以下政友会)とは反りが合わず辞任しています。それからしばらく政界からは距離を置きました。

そんな桂が内閣総理大臣に就任したのは、第四次伊藤博文内閣が退陣したのがきっかけでした。長州閥に属しており、当時力を持っていた山縣有朋の派閥でもあったことから推薦され、1901年6月2日に第一次桂太郎内閣が成立します。元老ではない首相は初めてで、政府の世代交代の象徴になったと言えます。

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