日露戦争も乗り切った大宰相・桂太郎!その卓越した手腕と悲劇的最期【前編】 (1/4ページ)

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日露戦争も乗り切った大宰相・桂太郎!その卓越した手腕と悲劇的最期【前編】

最初は「軍人デビュー」

桂太郎(かつら・たろう)は軍人出身の政治家で、山縣有朋の懐刀とも呼ばれた人物です。また総理大臣の座にも三回就いており、その在任期間の合計日数の長さはつい最近まで日本の憲政史上最長でした。

日露戦争も乗り切っており、政敵であるはずの西園寺公望との蜜月期間である「桂園時代」を築いたことでも有名です。

桂太郎(Wikipediaより)

まず最初に彼の生い立ちですが、桂は幕末期の長州藩の生まれで、桂家はもともと毛利家の重臣の家柄でした。その先祖は、戦国時代の広島県廿日市にあった櫻尾城の城主・桂元澄で、125石馬廻役という上級武士です。また、母方の叔父である中谷正亮は松下村塾のスポンサーでもあるという血筋でした。

桂は江戸末期に第二次長州征伐で志願して石州方面で戦ったのを皮切りに、戊辰戦争でも敵情視察・偵察・連絡役などをこなしました。戦後は軍功が評されて賞典禄250石を受けています。

先輩たちの引き立てと「ニコポン」

明治維新後、桂はドイツへ留学しています。これは前述の賞典禄を元手にした私費留学で、生活は厳しかったといいます。

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