「どうする家康」何が三成を変えてしまった?その最期にネット号泣…第43回放送「関ヶ原の戦い」振り返り (3/10ページ)
中々脇ひらを見る様な事ならずと見えたり。是目撃の説尤實とすべし。)……
※『東照宮御実紀』巻四 慶長五年「関原対陣」
これによると、関ヶ原の合戦は9月15日の午前8:00ごろ(辰の刻)に始まり、午後2:00ごろ(未の刻)に決着したようです。
一丸となって戦った東軍に対して、各自がめいめいに戦った西軍。そんな中で、かねて内通していた小早川秀秋(嘉島陸)らが東軍に寝返り、形勢は一気に傾きます。
大谷吉継(忍成修吾)・平塚為広・戸田勝成ら名だたる武将らが相次いで討死。宇喜多秀家(栁俊太郎)・石田三成・小西行長(池内万作)らは捨て鞭を打って逃げ出しました。
最後まで居座っていた島津義弘も敵前を正面突破で戦線離脱、かくして東軍は勝利を収めます。
討ち取った首級を数えてみたら、実に35,270余り。対して味方の討死は3,000余りながら、大将格の討死は一人もいませんでした。
劇中では家康のセリフから、死者およそ8,000とされていましたね。随分開きがありますが、諸説あるようです。
ともあれ天下分け目の大戦さを制した家康の喜びは、実に大きかったことでしょう。
戦後の論功行賞、真っ先に黒田長政を絶賛
……この日の戦未刻ばかり全く御勝利に属しければ。藤川の臺に御本陣をすへられ。御頭巾を脱せられて裏白といふ一枚張の御兜をめし。