「どうする家康」何が三成を変えてしまった?その最期にネット号泣…第43回放送「関ヶ原の戦い」振り返り (6/10ページ)

Japaaan

御膏薬を取出して御みづから直政が疵に付給ふ。直政かしこみ奉りていはく。今日某が手よりこのみて軍をはじめしにあらず。全く時分よくなりしゆへ守殿と共に手始せしといへば。いたく御賞美あり。……

※『東照宮御実紀附録』巻十「家康感謝黒田長政」

直政は同じく負傷した松平忠吉(家康四男。福松)ともども、支え合うように参上。

直政が「若君のご活躍ぶり、さすが鷹の子は鷹にございますな」と褒めると、家康は「それはよき鷹匠がついてこそじゃ」と褒め返します。

「しかしひどい怪我ではないか。どれ、診せてみよ」

家康は手ずから膏薬(塗り薬)を取り出し、直政の手当をしてやりました。直政の感激はいかばかりでしょうか。

家康「しかし、もう無理はするなよ」

直政「いえ、それがしから島津を襲ったのではなく、やむなく戦ったまでにございます」

家康「そうかそうか」

そんな一幕があったようです。

小早川秀秋のこと

小早川秀秋(画像:Wikipedia)

なかなか去就を決せず、家康と三成を苛立たせた小早川秀秋。果たして勝利を収めた後は、どんな態度をとったのでしょうか。

……金吾秀秋は参陣遅々しければ。村越茂助直吉を遣はされてめし呼る。秀秋長臣二十人ばかりをしたがへて参り芝居に跪てあり。  君床机より下らせ給ひ。かねて懇誠を通ぜられしうへに。また今日の大功神妙の至なりと宣ふ。秀秋忝き由を申し。  明日佐和山討手の大将を望みこふによて御ゆるしあり。

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