「どうする家康」何が三成を変えてしまった?その最期にネット号泣…第43回放送「関ヶ原の戦い」振り返り (5/10ページ)

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島津の銃撃で負傷した井伊直政

井伊直政。劇中では血気に逸って島津勢へ突っ込んでいったが、実際は飛び出して行った松平忠吉のお目付け役だった。「関ケ原合戦図屏風」より

劇中でちょっとだけ描写されていましたが、島津義弘が戦場から離脱する際、東軍の真正面へ突撃する場面がありました。

普通、逃げる時は少しでも敵から遠ざかろうとするものですが、まさに窮鼠猫を噛むですね。

これは後世「島津の退口(のきぐち)」と呼ばれ、島津勢の恐ろしさを改めて天下に知らしめました。

千五百 VS 十万?薩摩武士の精強さを天下に知らしめた、関ヶ原の戦い「島津の退き口」

井伊直政(板垣李光人)は死に物狂いの島津勢を深追いした時、銃撃を受けてしまいました。

直政はこの時の負傷が原因で、2年後の慶長7年(1602年)に亡くなります。

……井伊兵部少輔直政も鉄砲疵を蒙り靭に手をかけ。忠吉朝臣に附そひ参り忠吉朝臣の勲功の様を聞えあげ。逸物の鷹の子は皆逸物なりと称誉し奉れば。そは上手の鷹匠が志ゝあてよきゆへなりと宣ひ。汝が疵はいかにとて御懸硯をめしよせ。

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