「どうする家康」二条城の会見、鐘銘事件、残念な秀忠を深掘り!第45回「二人のプリンス」振り返り (6/8ページ)

Japaaan

子供はただ可愛がるだけのマスコットではなく、自分の思想や精神、生き様を次世代に伝えるよすがでもあります。

家康が父親として自覚を持ち、息子を育てる中で自らも成長していく人間ドラマを描くで絶好の機会だったのに、と惜しまれてなりませんね。

ちなみに、秀忠の嫡男である第3代将軍・徳川家光(幼名:竹千代)は、慶長9年(1604年)に誕生しています。

林羅山の言いがかり……方広寺の鐘銘事件

秀頼の造立した方広寺の伽藍(画像:Wikipedia。京都府立京都学・歴彩館)

さて、どこまでも戦を避けたい神の君に対して、早く徳川を倒したくて仕方がない茶々たち。

一体何の根拠があって、そんなに自信満々なのでしょうか。まさか秀頼と秀忠が殴り合いで天下を決める訳でもないでしょうに……。

ともあれ、豊臣方が家康に喧嘩を売ったという方広寺の鐘銘がこちらです。

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