戦よりも鷹狩りが好き♡本多忠勝も「いい加減になされ!」と呆れた徳川家康の熱中ぶりがコチラ (2/5ページ)
……
※『東照宮御実紀附録』巻二十四
【意訳】あまり実益性のない趣味は好まない家康でしたが、たまに猿楽などをご覧になることがありました。
あるいは囲碁や将棋なども暇つぶし程度にやることはあったものの、深く入れ込むほどではなかったのです。
しかし鷹狩りだけは大ハマり……たゞ鷹つかふことばかりは御天性すかせられ。御若年より御年よせらるゝまで。いさゝかもいとまある折は。かならず出立せ給ふことなり。……
※『東照宮御実紀附録』巻二十四
【意訳】そんな家康が、鷹狩りだけは心底好いていました。若いころから晩年まで、少しでも時間があれば鷹狩りにいそしんだものでした。
秀吉の上洛要請を拒否
……既に長久手の戦ひ畢り。豊臣秀吉が許より土方下総守雄久等を使として。御上京の事を勧め進らせしに。三河の吉良の辺に狩せさせ給ひしが彼等を召出。御手に据られし鷹を指し給ひながら。われ此頃は鷹つかふをもて。明暮のたのしみとす。都方は織田殿のすゝめにて一覧せしかば。今はた見まくもおもはず。さりながら秀吉あながちに我をのぼせむとて。軍勢さしむけんには。この鷹一据もて蹴ちらさんものをと仰られしかば。雄久等大に恐れて京へ逃帰りしとか。……
※『東照宮御実紀附録』巻二十四
小牧・長久手の合戦(天正12・1584年)後、豊臣秀吉の使者として土方雄久がやって来ました。