まさに母親ゆずり!清少納言の娘・小馬命婦が娘を守るため詠んだ怒りの和歌がコチラ【光る君へ】 (2/4ページ)
ちなみに命婦とは中級程度の女官を指します。
なお、小馬命婦という女房名の女性が円融天皇の時代にいたため、区別するために彰子の院号を冠して上東門院小馬命婦(じょうとうもんいん~)と呼ばれるのが一般的です。
恐らく、先にいた小馬命婦と通じるところがあったので、彼女にあやからせようとそう呼ばれたのでしょうね。
彰子と言えば紫式部も女房として仕えており、『紫式部日記』にも「こむま」「こまのおもと」などの名前で登場しています。
「こむま」は「こうま(仔馬)」、「こまのおもと」は「コマちゃん」といったニュアンスです。
その可愛らしい響きから、みんなから親しまれていたことが察せられますね。紫式部も、彼女と仲良くしていたのでしょうか。
ただし「こむま」等は高階道順(たかしな みちのぶ)の娘とされており、別人説もあるとか。
あるいは、幼くして父・藤原棟世を亡くしているため高階道順の養女になったとする説もあるようです。
「帰れ!」母親として、怒りの返歌
果たして小馬命婦がいつまで彰子に仕えたのか、その後どうなったのかについて、詳しいことは分かっていません。
しかし娘が一人いたことが分かっており、母親としてこんなエピソードが伝わっていました。
娘は高階為家(ためいえ)と結婚したものの、激しい口論のすえ疎遠になってしまいます。
ちなみに高階為家は紫式部の孫。紫式部の一人娘・大弐三位(だいにのさんみ)が生んだ息子です。
それはともかく、時が経って為家は、妻が惜しくなったのでしょう。