幕末の志士たちを震え上がらせた新選組!10人の組長たちの終焉を紹介【後編】 (2/4ページ)

Japaaan

物静かでしたが頑固な面も持ち合わせていたと言います。新選組での働きも六番隊組長にふさわしい活躍を続けました。

井上源三郎の終焉

鳥羽伏見の戦い(とばふしみのたたかい)の3日目に銃弾を腹部に受け戦死。享年40歳。最後まで己の「士道」を貫いた生涯でした。

甥の井上泰助が後に「源三郎の首を持ち帰ろうとしたが、重くて近くの寺に埋めた」と証言しています。しかし、どこに埋めたかは不明です。

谷三十郎 七番隊組長

七番隊組長の谷三十郎は、槍術師範でもあり腕も確かなようでした。その証拠に新選組では、池田屋事件他いくつかの活躍が記録として残っています。ただし、性格に難ありで横柄な気質だったようです。

武士の身分だった谷三十郎は、近藤にとっては魅力的であり頼りになる存在でもありました。

谷三十郎の終焉

新選組の七番隊組長なのにあまり名前があがって来ない理由は、突然の死が原因です。そして未だに死因は謎のまま。新選組組長として一瞬輝きを放って消えていった34年の生涯でした。

隊内で何か問題を起こし斎藤一に暗殺された、大酒飲みで脳槽中で急死したなど、その死にはいくつかの説があります。

藤堂平助 八番隊組長

藤堂平助は、若くして剣の才能もあり最年少組長でした。新選組では「魁先生(さきがけせんせい)」と呼ばれ、戦闘では先陣をきる血気盛んなところを見せていました。新選組でも重要なポジションを任され、近藤や土方の信頼も厚かったようです。

北辰一刀流の目録(免許に匹敵)を十代で取得するほどの腕前でした。新選組参謀となる「伊東甲子太郎」を招き入れたのは、伊東の寄り弟子であった藤堂平助でした。しかし、この伊東の入隊が平助の人生の岐路となったのです。

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