幕末の志士たちを震え上がらせた新選組!10人の組長たちの終焉を紹介【後編】 (3/4ページ)

Japaaan

藤堂平助の終焉

伊東甲子太郎の寄り弟子でもあった藤堂平助は、伊東が新選組を脱退し、御陵衛士となった時も付き従って脱退します。最終的に伊東が近藤や土方を殺して新選組隊士を御陵衛士に取りこもうとした陰謀がばれて、暗殺されます。

伊東の亡骸が道に捨て置かれているのを運びに来たところを新選組に取り囲まれ、「平助だけは助けよ」との近藤や土方の思いもむなしく斬りあいの末、命を落とすことになったのです。家族のように信頼された新選組に、最期は殺されてしまった悲しい23年の短い生涯でした。

鈴木三樹三郎 九番隊組長

鈴木三樹三郎は、新選組参謀となった伊東甲子太郎の実弟。伊東とともに新選組に入隊し、九番隊組長に任命されます。しかし、鈴木三樹三郎が新選組で残した実績はほとんどありません。伊東の実弟だったため組長になれたのかも…..。

美男子であった様子が、残っている写真からうかがえます。しかし、剣術が苦手で永倉に習っていたとも。素行不良で九番隊をまとめられなかったようです。そのため組長なのにほとんど取り上げられることがありません。

鈴木三樹三郎の終焉

鈴木三樹三郎は81歳で老衰により死去します。つまり大正まで生き残ったのです。兄と一緒に新選組を脱退し、御陵衛士壊滅後は赤報隊の二番隊隊長に就いたり投獄されたりと、新選組の脱退後の方が活発な動きを見せています。

やはり剣客集団新選組の組長としては心許なかったのかもしれません。

原田左之助 十番隊組長

新選組の組長として今も人気のある原田左之助は、「試衛館」の食客でした。永倉とともに新選組を支え続けた古参隊士です。槍術の腕も相当なものだった様子。もちろん他の幹部からの信頼も厚く、浪士組の頃からほぼすべての任務で活躍を残しています。

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